KEEP CHALLENGING FOR “HITOTOWA”

「人と和」のために挑み続ける

HITOTOWA INC. 代表 荒 昌史

2010年12月、HITOTOWA創業。3ヵ月後には東日本大震災が起き、日本中にあらゆる社会課題が噴出した。その途方もなさに、一時は「圧倒的な無力さを感じた」という荒。だが、それまでに自ら立ち上げ推進してきたNPO GoodDayやCSR部署にて培ってきた経験をもとに、東日本大震災の復興や新たな仕事に取り組むなかで、3つの事業—「CSR/CSVコンサルティング」「ネイバーフッドデザイン」「ソーシャルフットボール」—を確立させてきた。創業当時から受け継がれている大切な想い、そして各事業の背景とは—?

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"HITOTOWA"に込めた想い

"HITOTOWA"に込めた想い

「可能性の大きさ」に挑みたい

HITOTOWAを設立したのは30歳のとき。もともといつか独立したいとは思っていたのですが、いざ独立するタイミングではやはり迷いもありました。当時はリクルートコスモス(現コスモスイニシア)という会社で働いていて、扱える金額や組織の規模も大きく、周囲の人や環境にも恵まれていました。

決め手となったのは、自分の根幹にある“より社会貢献性の高い仕事がしたい”という想い。会社の事業を通じた枠のなかだけでなく、もっと広く、さまざまな分野で社会課題に取り組んでいきたい。そんな想いに背中を押され、リスクを承知のうえで、より「可能性の大きな方」を選んで独立したんです。

HITOTOWAある大学での講演の様子。HITOTOWAは、3つの事業を通じて社会課題の解決の可能性を追究している。

都市の社会環境問題を解決したい、という想いがすべて

HITOTOWAのミッションは、「都市の社会環境問題の解決」。人々の無縁化、防災減災、子育て、高齢化、環境問題、ペット福祉…。これらすべてのテーマに取り組んでいこうというのがHITOTOWAの考え方です。

そのための3つの事業が、CSR/CSVコンサルティング、ネイバーフッドデザイン、そしてソーシャルフットボール。企業・市民・スポーツという異なる切り口を組み合わせながら、さまざまな社会課題の解決に取り組んでいます。

HITOTOWA現在の仕事との直接的な動機は不確かだが、学生時代から純粋に公共性の高い仕事を志していた。

父の背中から得た仕事観

よく、HITOTOWAのミッションやビジョンにつながる原体験は?と聞かれます。でも、壮絶な原体験があったというわけではないんです。ただ仕事観としては、国家公務員をしていた父親の影響が大きかったのかもしれないと、今になって思います。

公共性の高い仕事をする父を見て、自然と「仕事というのはそういうものだ」と思っていたのかもしれません。仕事とは、誰かの私利私欲をサポートするものではなくて、社会のために働くこと。気がつくと、当たり前のようにそんな仕事観を持つようになっていました。

HITOTOWAの事業を行う大前提にある「課題解決につながることしかやらないし、やれない」という想いは、この影響を受けているのかもしれません。

結局好きなんですよね、こういう仕事が。大きな使命感を持っているというよりは、自分のなかにナチュラルにある、趣味や、生き方に近い感覚です。

また、「物質的ではない、精神的な豊かさ」というテーマについては、高校生の頃から興味がありました。幸せなことに自分は、「モノ」で困ったことはほとんどなく、日本社会全体も、世界のなかでは物質的に豊かだと言われている。けれど、自殺やうつなど精神的な貧困は確実に存在している。本質的な豊かさとは何か、というのは当時から考えていました。

HITOTOWA2011年6月の陸前高田市沿岸部の様子。CSRによる支援調査のために訪問した。

創業直後に東日本大震災。得た学びを、未来へ

2014年10月末で4期目が終わり、今は5年目を迎えています(2014年12月時点)。振り返れば2010年の12月に登記して、その3ヵ月後に東日本大震災がありました。そのときは最初に予定していた仕事もいくつかなくなり、経済的にも苦しかったです。

でも、それ以上に、東日本大震災からの復興という大きな課題、そこから噴出した防災減災、自然環境、教育と貧困、自治と公共など、さまざまな課題に対しての、自分の圧倒的な無力さ。それが一番苦しかったのを覚えています。それでも、その課題に必死に取り組もうとするなかで、CSR/CSVコンサルティング、ネイバーフッドデザイン、ソーシャルフットボールという今の3つの事業が確立してきました。

徐々に大きな案件をいただくことも増え、またスタッフやアライアンスも増えました。まだまだ課題はありますが、それでも4年という月日を経て、会社や自分自身の成長も実感しています。

HITOTOWAHITOTOWAが最初に支援のマッチングを行った、岩手県の国産材製仮設住宅。

30代、どこまで可能性を広げられるか

一方で、もっと広範囲で社会課題を解決していくためには、自分が現場に入るよりも、少しずつ「経営者」になる必要があると考えています。しばらくは経営と現場を行き来しつつ、徐々に経営にシフトしていきたいですね。

そのためにも、特にHITOTOWAの得意なネイバーフッドデザインにおける「HITOTOWAメソッド」を確立して、その事例を蓄積し、そのメソッドを扱える人材を増やしていきたい。

ネイバーフッドデザインはここ数年で実績も増え、HITOTOWAとして自信を持ってご提供できると感じている分野です。ただ、さらに広げていくためには、会社としての規模感や、プロジェクトの仕組みとしての規模感を意識していく必要があります。すでに他社とのコラボなど、いろいろな準備を進めているところです。

いろいろなプロジェクトをやっているね、と言われますが、事業は3つに集約していますし、「都市の社会課題の解決」という軸も変わりません。その軸はぶらさずに、今は何かに絞るというよりも、可能性を広げることに注力したい。40代以降、広がった可能性のなかで新たな道が見えてくるのではないかと考えています。

「可能性を広げる」ことを前提に、30歳で独立してから4年。これからの30代後半、可能性をどこまで広げられるか、まだまだチャレンジを続けたいですね。

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