2024-09-01
2024-09-01
今年6月にHITOTOWAメンバー有志6名による能登半島 被災地へのボランティア活動・現地視察を行いました。当日の活動などをレポートでまとめさせていただきます。
◆1日目 東京発
・北陸新幹線にて、東京発→金沢着
・金沢から車で、七尾市小牧地区集会所へ
・七尾市小牧区集会所は、被災地NGO協働センターの七尾拠点のため、被災地状況とボランティア活動の情報収集のお話を伺う。
※お手伝いで合流予定だった炊き出しが終わっていたのと、大雨だったこともあり、1日目は被災地視察がメインになりました。
・被災地NGO協働センター増島さんに現場の状況と、2日目のボランティア情報をお伺い。
・事前に情報提供頂いていたボランティアの瀧腰さん(七尾で活動)と、炊き出しボランティアの方たちから被災状況を伺う。
・特に被害が大きかった珠洲市を視察。(七尾〜珠洲は車で1時間強)
珠洲市の様子
・珠洲市で銭湯をされている、あみだ湯の新谷さんにお話を伺う。
・七尾にて宿泊。
◆2日目
・七尾市小牧地区集会所にて、ボランティア情報収集のためmtgに参加。
・ボランティア実施。
午前:家財道具の運び出し、災害廃棄物仮置き場・リサイクルセンターへ運搬するための物品整理
午後:「JAのと 穴水」から集会所へのお米360㎏運搬、お米の各家庭配布用の仕分け
・七尾から金沢へ移動。北陸新幹線で東京へ戻る。
(七尾市)
・七尾の方の気質からか、所持品整理もある程度整えてからボランティアに頼む方が多く、支援活動までに時間がかかる。
・公費解体は始まりつつあるが、未だ半壊・全壊状態の建物が多く残っている状態。
・発災初期に、行政からの「今はこないで」の発信もあったため、通常よりもボランティアが不足している。
・訪問した小牧地区の炊き出しは120食くらい。食品は地元農家からの提供で成り立っている。
・道路の補修工事により、少しずつ交通できるようになってはいるため、以前よりは金沢からのアクセスはしやすいが、宿泊できるところが少ないため、復興の速度が過去の被災地に比べ遅い。
・(当日は大雨だったこともあり)七尾-珠洲の間の道路は、一部土砂崩れなどの危険性もあった。
大雨の影響で、金沢-七尾をつなぐ「のと鉄道」が運休、そして「のと里山海道」が通行止めに。
(珠洲市)
・一部津波の被害もあった。崩壊した建物の建材などをかき集めた状態のところもあり。
・公費解体の遅れとして、罹災証明書が出ていても、両隣の家が倒れ込んできているために所有者の立会いが必要など、解体の条件がそろうまでに時間がかかっている状態。
・道路では、マンホールが下水道管ごと飛び出ている箇所あり。
・あみだ湯では、1月19日から営業再開(井戸水、薪での火起こし運営のため被害の影響が少なかった)
・あみだ湯での元々の利用は常連さんが多く一日90人程だったが、震災後は復帰している銭湯が少なく600人ほど利用された日もあった。ボランティアの人も利用されることがある。
浅野:まず、交通インフラの脆弱性が顕著でした。大雨で石川鉄道が運休し、移動手段が限られる中、カーシェアでなんとか合流できましたが、帰宅難民となる人もいました。幹線道路の通行止めも影響し、迂回してようやく合流できる状況となったこともあり、移動手段に依存している現実に気づきました。
また、現地情報の不足も課題に感じました。運休情報や被害状況が把握できず、首都圏とは情報の伝達スピードが大きく異なり、情報発信の重要性を感じました。こうした情報が不足する中でも、現地の方々は困難な状況にもかかわらず笑顔を絶やさない姿が見られました。人との交流やボランティアの活動が、合理的な価値以上に大きな支えとなることを実感しました。
津村:被災地の現状を振り返ると、地震から半年が経過しても復興が進んでいない印象を受けました。特に交通インフラでは、被災地に向かう下り線は復旧していますが、金沢に戻る上り線はまだ1車線のみでした。街中でも解体作業は始まっていますが、多くの家屋はそのままで、珠洲市では特に進展が遅いです。公費解体や技術ボランティア不足、宿泊施設の欠如が原因で、解体が進まない状況です。
振り返りとして、耐震化の重要性が再認識できました。発災直後の命を守るためには、建物の耐震化が不可欠だと感じています。また、防災について考えると、まずは生き延びることが最優先であり、その後の生活基盤を整える順序が大切だと感じました。防災の準備がどれだけ整っても、命を守れなければ意味がないと痛感しました。
鳥山:珠洲市を訪れ、全壊した家々と人気のなさに深い衝撃を受けました。熊本地震と比較してもその差は歴然です。公費解体の進捗が遅れており、NHKのニュースでは「来月には進む予定」とされていましたが、実際にはアクセスの悪さだけが理由として扱われ、行政の問題は触れられていませんでした。珠洲市は本来は穏やかでのどかな場所ですが、被災生活が日常となり、あみだ湯が地域のオアシスとなっていました。内陸と海岸沿いで住民性が異なることも興味深く感じました。
ボランティア活動では、皆が前向きで明るく、細かい作業が多くあることに気付きました。例えば、お米を2キロずつ分けるなどの細かい作業が多く、災害後の生活には細部まで配慮が必要だと感じました。家財整理や災害ゴミの処理方法が自治体によって異なり、負担も変わります。
総じて感じたのは単一自治体の限界が顕著であり、自治体間の連携や民間のアドバイザー、法律的な問題解決が必要です。行政の不備が信頼を損なう現状を目の当たりにしました。首都圏にいる私たちができることは、住民への耐震化推奨や平時からの行政との連携を強化し、官民連携の重要性を実感してもらうことです。
中村:被災地で感じたのは、現地の情報は自ら取りに行かなければ、その実態がほとんど見えてこないということでした。
地震の被害が大きかった珠洲市では、街中に被害の跡が残っていました。マンホールが地面を突き抜けている光景が印象的でした。また、崩れた家屋とその上に押しつぶされた車が見られ、地震発生時の状況がそのまま残っているようでした。半年以上経過してもその光景が残っていることに驚きました。
ニュースでは、その後の状況や復興の進展についての報道が少なく、現地のボランティアや個人が発信する情報が主な情報源となっています。しかし、これらの情報も断片的で流動的なため、情報が早く移り変わる中で、被災地以外の人々がどのように被災地への関心を持ち続けるべきか、その重要性を強く感じました。
また、ボランティア活動を通じて学んだのは、体力を要する作業がある一方で、細かな作業や小さな活動でも積み重ねることで現地の人々に大きな支えとなるということです。例えば、瓦礫の片付けやごみの分類、避難所での配給物の分配といった単純作業でも、継続することで被災地の人々の生活への助けに繋がるのだと感じました。
現地では、復興に向けた対応や人手がまだ不足しています。私たちが見て体験したことはほんの一部ですが、この発信を通して少しでも他の人に伝わり、復興の力になることを願っています。
<お世話になった皆様>
・被災地NGO協働センター
http://ngo-kyodo.org/
・海浜あみだ湯(Xアカウント)
https://twitter.com/amidayu_suzu
・震災後の「あみだ湯」について(greenz.jp)
https://greenz.jp/2024/05/23/suzu_volunteer/
・能登半島地震 津波の被害(2024年1月4日 読売新聞)
https://www.yomiuri.co.jp/science/20240104-OYT1T50149/
・珠洲市の被災状況に関する記事(2024年2月26日 朝日新聞)
https://www.asahi.com/articles/ASS2S3CDGS2PUTIL002.html
・公費解体の遅れについて(2024年6月3日 NHK NEWS WEB)
https://www3.nhk.or.jp/lnews/kanazawa/20240603/3020020433.html
・2024年9月時点での被災地の状況(2024年9月1日 東京新聞)
https://www.tokyo-np.co.jp/article/351443
HITOTOWAの声