2021-03-08

#20 歴史あるまちで、「一人と一人」の対話を積み重ねる──5年間のエリアマネジメント常駐経験から

こんにちは、HITOTOWAの髙村です。

私は2014年の9月に入社して以降、西東京市・東久留米市にまたがるひばりが丘のエリアマネジメント組織「まちにわ ひばりが丘」の企画・運営に、ほぼすべての時間と力を注ぎこんできました。

当初の計画どおり、2020年6月には関係事業者から地域住民へ、組織体制が移行した「まちにわ ひばりが丘」

その長期にわたる経験の中には、まちに常駐していたからこそ見えた景色やエピソード、そこから得た気づきの数々があります。

すべてを語り尽くすことはできませんが、その一部のエッセンスを、これから2回にわたってお届けしていきたいと思います。

「日本初」として注目を集めてきた、エリアマネジメントの枠組み

「まちにわ ひばりが丘」は、「ひばりが丘団地再生事業」に参画するデベロッパー4社と、UR都市機構のもと、継続的なエリアマネジメントの実現をもとに2014年に設立された一般社団法人です。

UR都市機構が民間のデベロッパーと連携し、継続的に行うエリアマネジメントは初めてで、設立当時から「日本初」の取り組みとして注目されてきました。

また持続可能な運営のため、当初から「5年後には地域住民へ役員を引き継ぐ」ことが計画されていた点も、大きな特徴です。

HITOTOWAでは2013年からその仕組みづくりの検討、組織組成、及び現地に常駐しながらのエリアマネジメント活動の事務局まで、包括的なお手伝いを行ってきました。


2021年3月現在の組織体制及びエリアマネジメント対象地域(まちにわひばりが丘HPより引用)

ひばりが丘団地再生事業には、官民共同で取り組む「事業パートナー方式によるPPP(パブリック・プライベート・パートナーシップ)手法を取り入れた日本初の取り組み」、かつ「地域住民へ組織体制の移行」という大きな特徴以外にも、

・既存団地との一体感・連続性を意識したランドスケープ
・新築物件販売時からのまちづくり活動
・エリアマネジメント拠点の整備と運用
・既存の自治組織との協力連携
・民間の保育所や放課後アフタースクール、創業支援施設などの誘致

など、開発前の段階から住民入居後まで、それぞれのフェーズごとに永続的なまちづくりを見越した仕組みがあります。

事務局長として約5年間携わるなかで、そのどれもがひばりが丘地域の強みであり、また誇りでもあると実感するようになりました。

ここではすべて語りきれませんので、興味を持っていただいた方は、ぜひ「まちにわひばりが丘」の「エリアマネジメントツアー」に参加してみてくださいね。

そんな「まちにわ ひばりが丘」は、2020年の6月に無事、組織体制を関連事業者から地域住民に移行しました。前例のない取り組みの中、いろいろなことがありましたが、まずは思い描いていた通りのひと区切りを迎えられたことにホッとしています。

自治の歴史があるまちへ、新しく入っていく

ところで、そもそもひばりが丘とはどんなまちだったのでしょうか?

実はひばりが丘は、古くから「自治活動が非常に盛んなまち」でした。「ひばりが丘団地」は、昭和34年に入居が開始された、首都圏初の大規模団地です。

集合住宅という文化がない時代に、約2,700世帯が一気に住み始めたところ、まちの中には子どもがあふれかえったとか。そんな中、子どもたちの居場所をつくろうと、住民のお母さんたちが団地の集会所を借りて子どもの見守りを始めたそうです。

その取り組みは途中から「たんぽぽ幼児教室」という幼稚園に変わり、今もずっと続いています。つまり、自治会が運営する幼稚園。園長先生は自治会長です。他ではなかなか見られない、おもしろい形ですよね。

1962年に団地の母親たちにより設立された、たんぽぽ幼児教室。58年の歴史があり、親子でここに通ったという人たちも。

そのほかにも、行政と交渉して道路のアスファルト舗装をしてもらったり、バス会社に交渉してバスを延伸・増便してもらったり……。まさに「地域の課題を自分たちで解決する」を数十年以上にわたり実践してきたのが、ひばりが丘団地でした

その「ひばりが丘団地」の老朽化にともない、敷地の約半分は民間デベロッパーに売却され、新しい分譲マンションなどが建つことに。

そこで、エリアマネジメントという手法を用いて、「すでに住んでいる人と、新しく住まう人が混ざり合いながら、暮らしやすく楽しいまちをつくっていきましょう」という話が持ち上がりました。これが「まちにわ ひばりが丘」設立の背景です。

活動ひとつひとつに、まちや住まい手へのリスペクトを

「まちにわ ひばりが丘」としての活動は、大きく分けるとイベントの企画・運営、拠点運営、そして情報発信の3つです。

自治の歴史あるまちで活動するにあたり、大切にしていたこと。それは上記の活動ひとつひとつにおいて、「ひばりが丘団地」の歴史に対するリスペクトを忘れないことです。

たとえばイベント運営では、「すでにまちにあるイベントとバッティングしないもの」または「もともと行っていたが、開催できなくなったもの」を意識的に企画するようにしていました。

後者のように伝統行事を復活させた例では、新春の「餅つき大会」や、夏祭りの「子ども山車」などがあります。

「餅つき大会」を企画した1年目は、新規分譲街区の住民の方しか訪れないイベントでした。

しかし、開催場所を変えたり、団地自治会の役員の皆さんにもご協力いただいたりとやり方を変えながら、2年、3年と続けているうちに、もともとの団地の方もたくさん足を運んでくれるようになったのです。

今では団地のおばあちゃんから「私、お餅食べられないんだけど、餅つきが見たいから来たわ」なんて言葉をいただけるまでになりました。

2019年餅つき大会後の集合写真。自治会長やマンションの理事会の方々、また近隣の人も入り混じって多世代で楽しみました

まちづくりは、「一人と一人」の積み重ね

新しい分譲街区の住民の方に、「まちにわ ひばりが丘」の説明をするときに、気をつけていたことがあります。

それは、エリアマネジメントだからといって最初から地域を意識させすぎないこと。

引っ越してきたばかりで、隣近所に誰がいるかもわからないのに、いきなり「地域」と言われても、スケールが違い過ぎて理解できないことも多いはず。

まずは、マンションのお隣さんと、同じ階の人と。そして同世代の子どもを持つ人や、同じ趣味を持つ人と。そういったひとつひとつの出会いを大切にしていきましょうと伝えていました。

先ほどは「餅つき大会」についてお話ししましたが、まちづくりにおけるイベントは、活動全体のごく一部に過ぎません。そして、イベントだけをやっていればコミュニティが醸成されるわけでもありません。

5年間の常駐でもっとも感じたことは、「まちづくりも、一人と一人の小さな対話の積み重ねである」ということです。

たとえば祭りの開催に向け、皆で分担しながら準備すること。はたまた、日常の中で偶然居合わせたときに「こちらは誰々さんですよ」と紹介すること。いつも拠点に常駐していて、まちの中で困ったひとが訪れたとき、耳を傾けられる存在であること。

日常・非日常における、まちの方との対話ひとつひとつ。そのどれもが等しく大切で、その積み重ねでまちの中の関係性が育まれていきます。

そして「積み重ね」には、時間がかかるのです。

現場に入っていると、どうしても目の前のことが気になり、成果が出ているのか、ひとつひとつの物事で判断してしまいそうになります。

しかしこの5年間を経て思うことは、小さな対話を積み重ねるうちに、成果は「じわじわ」現れるということです。それは1年後かもしれないし、3年後かもしれません。

エリアマネジメントは一朝一夕にはできないもの。決して焦らず、「まちに暮らす方々と『一人と一人』の対話を積み重ねていくこと」で、「会いたい人がいる、愛着のあるまち」ができていくと考えています。何より、私自身がそうだったように。

次回は、この「成果はじわじわと出てくる」という点に関して印象的なエピソードをご紹介しつつ、まちにおける「役割」と関係性づくり、ひいては住民移行のポイントについて考察したいと思います。

(HITOTOWA INC. 髙村和明)

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人と和のために仕事をし、企業や市民とともに、都市の社会環境問題を解決します。 街の活性化も、地域の共助も、心地よく学び合える人と人のつながりから。つくりたいのは、会いたい人がいて、寄りたい場所がある街。そのための企画と仕組みづくり、伴走支援をしています。

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