2023年9月1日で、関東大震災から100年を迎えます。HITOTOWAでは、災害の記憶を受け継ぎ、防災の大切さを多くの方に届けるため、さまざまな取り組みを行っています。
今回はサッカー防災®に取り組むソーシャルフットボール事業でアンバサダーを務めていただいている石川直宏さん(写真左:FC東京クラブコミュニケーター、元サッカー日本代表)と、石川さんゆかりの地である横浜市の震災遺構を歩いて巡りました。ガイドをしてくださったのは、横浜開港資料館・横浜都市発展記念館の副館長、青木祐介さん(写真中央)です。
本記事ではまち歩きツアーの後、横浜開港資料館の一室で行われた、石川さん×青木さんの対談の様子をお届けします! 進行役はHITOTOWAの鳥山(写真右)が務めました。
投げかけられたのは、「災害の記憶を風化させないためには?」、「多くの方に“自分ごと”として防災対策に取り組んでもらうには?」という2つの問い。石川さんが防災を自分ごと化することになった原体験や、過去の資料に見る関東大震災の日の体験談なども登場します。ぜひご覧ください。
鳥山:さて、横浜市内の遺構を青木さんにご案内いただきながら巡ってきましたが、ナオさん(=石川直宏さん、以下略)、まち歩きツアーはいかがでしたか?
石川:横浜にはよく来るので、見慣れた景色が多いはずなのですが、青木さんと歩くと見え方が全然違う!と感じましたね。100年前に関東大震災があり、そこからどんな歴史を経て、今のまち並みにつながっているのか。背景を知り、今の景色からもそれを感じることができたのはとても新鮮で、感慨深いものがありました。
青木:例えば山下公園は、一番象徴的な事例だと思います。公園は観光地としても有名ですが、ではなぜあんなに広いのか、どうして海辺にこれだけの場所があるのかは、皆さんあまりご存知ないんですよね。
実はそこにも、関東大震災があったからこそ、その瓦礫を処分するために海岸線を埋め立て、あれだけの広い公園ができたという歴史的背景がある。「今見えているまち並みは、過去の歴史の上にある」ことを、まち歩きで感じていただけたなら嬉しいです。
鳥山:青木さんは10年前、関東大震災90年の際も、震災遺構をめぐる市内のツアーガイドをやられていましたよね。
青木:ええ。関東大震災90年のときは、その2年前に東日本大震災があり、ツアーに参加された方も多かったです。横浜には、関東大震災と横浜大空襲という2度の大きな災害から復活してきた歴史があります。横浜にとって関東大震災は大きなターニングポイントですし、私たち博物館学芸員はその歴史を伝え続ける使命があるんです。
鳥山:今日の市内ツアーでは、震災後しばらくの間埋まっていたものを発掘し、歴史を伝えるために必要だと判断して保存している遺構もありましたね。「価値を認識し、後世に引き継ごうとしないと残らないものなんだ」と実感しました。青木さんのような方々の努力があってこそ、受け継がれていくものなのだなと。
石川:僕もツアー中、青木さんの「しっかりと残して伝えていこう」という想いを強く感じました。そうした熱量はどこから来るのでしょう?
青木:博物館の学芸員は古い資料を見て、過去の歴史を解き明かしていく仕事ですが、やっぱり古いものを見ていると、わくわくするんです。歴史の手がかりとなるものは僕らにとって、すべて大事なものですね。
ただ、“歴史を伝えていく”のは僕らだけでは足りなくて。「それを聞いた市民の方々が、また周りの方に伝えていく」広がりがないと、受け継がれていくのは難しいなと感じています。
石川:その状況は、僕が関わっている防災の啓発活動と通じる部分があるなと思います。僕らが直接伝えるだけではなく、そこで感度が高まった人が、自分の家族や周りの人に伝えていくという広がりが、とても大切なんですよね。
鳥山:本日は問いを2つご用意していまして。1つは「災害の記憶を風化させないために必要なことは?」。今のお話にあった「自分が伝えつつ、その先にいる方が起点となってまた伝えていく」というのもそのひとつですね。
青木:そのためにはやっぱり、実感を伴うことが大事でしょうね。学校の授業で受動的に話を聞いているだけでは、なかなか難しい。一方で、今日のように自分の足で歩きながら当時の痕跡を巡ることは、体感として入ってきやすいと思います。
石川:「その場に身を置く」のは大切ですよね。今日も炎天下のなかを歩いて、高低差もかなりあるんだとわかって。「暑い季節に、震災の瓦礫で足場も悪いなか、こんなに高低差のある場所を歩いたのか」「しかも火に追われていたら、普通に歩くのとはわけが違うよな」と当時に思いを馳せていました。
「港の見える丘公園」近くでは、「30メートルほどの崖の上から(当時そこにあった)病院のカーテンをロープ代わりにして降りたのではないか」というお話がありましたが、幼い子どもからご年配の方までいるなかでそれをやったのかと考えると、災害時の緊迫感がリアルに迫ってくるようでした。
鳥山:自分たちで体験して伝えることは私たちも大切に考えていて、今回の横浜ツアーもその発想から企画したものでした。以前、社員で東北を訪れた際にも、被災された方にお話を伺って、自分は直接被災していないのに、当時を「追体験」するような感覚があったんです。その感覚を広げていくことが大切なのではないかと考えています。
石川:「直接話を聞いた体験」が、自分の原体験になるんですよね。その先で、「さらにその人を起点に伝えていく」アクションのきっかけもつくっていけたらと思います。
僕の場合は、サッカーや、Jリーグの地域活動を通して、「どうやって次のアクションにつなげてもらえるだろう?」と考えていて。ポイントはやっぱり「楽しさ」だと思うんです。スポーツの楽しさを入り口に、その地域にはどんなことがあるだろう?と深掘りしていく。それがまた、探求という新たな楽しさにつながっていくといいなと。
鳥山:私たちとしても、入り口としてアクションから始められるといいなと考えています。一般的には防災知識を身につけ、意識を高めてからアクション(防災対策)に取り組むという流れですが、それでは裾野が広がっていきづらいと感じていて。ならば、まずアクションして“体感”してもらい、そこから防災について考えてもらう流れをつくれないかと。そのためにも、アクションには「楽しさ」が必要だと思っています。
青木:楽しいとっかかりがあるといいですよね。歴史も「覚えなきゃいけない」イメージで、嫌いな子が多いでしょう(笑)。でも本当は暗記物ではなくて、自分のおじいちゃん、おばあちゃんともつながっているし、今の自分に関わっているものなんですよ。
だからこそ、「今のまちにも、これまでの歴史がこんなふうにあるんだよ」と伝えられたらと思います。歴史は過去のものじゃなくて、「今の私たちのあり方を考える材料」ですから。過去の震災からの学びが、今の防災対策につながってくるのも同じことです。
鳥山:お話を伺っていると、歴史と防災には共通点が多いなと感じます。どちらも、とっつきづらく思っている方が多くいるけれど、本当は日常の中にあるもの。入り口としては楽しく、身近なことから伝えたいというのも一緒だと感じました。「伝え方」について、おふたりが意識しているのはどんなことでしょう?
青木:津波や土砂災害などの話は、地域の方の過剰な不安をあおる可能性もあるので、伝え方はすごく難しいなと思います。一方で、自分が住む地域の地形的な条件も含めて、「どういう環境の中に自分たちがいるのか」を把握しておくことは、防災の観点からも大事な話です。歴史に限らずいろいろな方面の専門家に意見を聞きながら、地域の方の生活に関わる話という観点で、伝えていくことが必要なのでしょうね。
石川::防災と一口にいっても、地域ごとに特徴や違いがある。僕もサッカーを通した防災啓発活動に関わらせてもらっているので、そのなかで、地域ごとの特色や歴史も含めて伝えていけるといいなと思いました。例えば「みんなが住んでいるこの地域はこんな地形で、過去の災害時にこんなことがあったから、今日はそれに特化したメニューをひとつ加えてみよう」とか。
その地域の地理や歴史もあわせて伝えることで、「あ、自分たちの住んでいる地域ってそういう場所なんだ」と理解が深まって“自分ごと”になるし、その地域での防災意識にもつながると思います。
鳥山:今のお話にも出ましたが、まさにもう1つの問いが「多くの方に“自分ごと”として防災対策に取り組んでもらうには?」です。ナオさんは、防災が自分ごとになった原体験などありますか?
石川:中学の同級生が岩手県の大槌町に住んでいて、東日本大震災の後、電話がかかってきたんです。避難所生活が続くなか、子どもたちがたくさんいるけれど娯楽がないから、サッカー用具を送ってくれないかという相談で。それで送ったら、「避難所での日常は心休まらないけれど、サッカーでリフレッシュできて、気持ちが和らいだよ」と教えてくれて。
その後、僕も現地に行ったんです。まちを案内してもらって衝撃を受けたのが、彼は「自分の家があった場所がわからない」こと。全部流されてしまって、コンクリートの基礎しかなくて、「だいたいこの辺かな」って。見慣れた景色が全部津波で流され、景色を一変させてしまう事実を目の当たりにしました。
当時、唯一残っていたのが、まちの旧役場庁舎。2階まで津波に飲み込まれ、その瞬間で時計が止まっていました。それを見たとき、強烈な違和感があったんです。この瞬間に止まってしまった時が確かにある。一方で、目の前の同級生はいろんなことを乗り越え、前へ進んでいる。進んでいる現実と、進まない現実。一言では言い表せない感情でした。そのときの衝撃は今でも残っています。
青木:大槌町って確か、役場庁舎を残すか残さないかに関して長いこと議論があり、注目されていたところですよね。
石川:まさにそうです。
青木:先ほど「災害の記憶を風化させないためには」というテーマがありましたが、大槌町の報道を見て、地元の方々の多くが被災した役場庁舎を残すことを反対されたというのは、僕にとっては驚きだったんです。でもやっぱり、あまりに強いショックで、その建物を見るだけでつらいというお気持ちもあるのだと知って。
歴史を伝える立場としては、あれだけの大災害を後世に伝えるために残してほしいという思いがありましたが、地元の方々にとっては必ずしもそうとは限らない。その現実を突きつけられたというか、簡単な話ではないのだなと思いました。
石川:そうですね。僕自身もその旧庁舎を見て大きな衝撃を受け、災害を自分ごと化するきっかけになっているし、被災していない僕らからすると、残す大切さのほうに思いが向きやすいと思います。でも地元の方のなかには、その建物を見ることで、計り知れないほどつらいお気持ちになる方もいらっしゃる。どっちがいい、悪いではなくて、いろいろな考え方があるのだと思います。
青木:そうですね。本当に、地元の方々のなかでも双方の意見があり、数年間揺れ動いていたように記憶しています(※)。
※参考:大槌町の旧役場庁舎は震災後8年を経て、2019年に解体。2023年5月、AR技術によりその建物を再現するアプリなどが発表されている
鳥山:自分ごと化に関していうと、私も以前は防災の準備をしていませんでした。意識が明確に変わったのは、前職で公務員のときに防災課にいて、東北の方のお話を直接聞いたとき。東日本大震災当時に小学生だった女の子が中学生の語り部になっていて、彼女の体験談を聞いたことがきっかけになりました。
何かきっかけがないと自分ごと化は難しい。だからサッカー防災®ディフェンス・アクションでも、きっかけづくりを大切にしています。例えば実施後のアンケートに「あなたにとって守りたいものは何ですか?」という問いを入れているのもそのひとつ。「家族」という答えが多いのですが、やっぱり家族をどう守るか?という視点は、自分ごと化のきっかけになりやすいと感じています。
青木:「家族」は身近で、自分ごと化につながるキーワードのひとつですよね。僕も妻と「いま災害が起きたらどうするか」を話し合ったことがあります。僕は横浜市内に勤めていて、妻は東京都内に勤めているので、日中に何か起きたらどうやって連絡を取り合うのか、歩いて帰ることになったらどこで落ち合おうか、家がつぶれていたらどこに行くかなどを話し合いました。
具体的に話し合えた背景には、関東大震災の体験記を読んでいたこともあります。
例えばある外国商社の支配人の体験記では、「地震の後、皆がワッと建物から出てきた。家族がある人は山手に確認しに帰り、独身者は、足がすくんで動けなくなっている人の面倒を見たりしていた」様子が描かれ、その後「道なき道をなんとか山手の我が家へ帰ったら、妻と子がいなくて驚いたが、妻と子は近所の人と逃げていて再会を果たした」、さらに「炎に囲まれてどうやって脱出していったか」というストーリーが描かれています。
都市そのものは100年前と今で全然違いますが、いざ何かがあったときに人間としてどう動くかはそれほど変わっていないはず。歴史に学べるところは学びつつ、現在の都市で起きたらどうするか、を考えることは大事です。
鳥山:地形も確認しつつ、災害が起きたらどのルートでどう逃げるかというシミュレーションを、家庭で確認するのは大事なことのひとつですね。そのうえでも、過去の震災で「どんな状況になったのか」「どう逃げたか」を知ることのできる体験記は貴重な資料だと思います。
鳥山:関東大震災から100年の節目ということで、今年は横浜開港資料館・横浜都市発展記念館の合同特別展も行われているそうですね。
青木:はい、『大災害を生き抜いて─横浜市民の被災体験─』(2023.8.26-12.3)として、まさにお話してきたような、市民の残した日記や回想録、写真などをもとに、横浜の関東大震災を再現していく展示を行います。
災害時、市民の一人ひとりはどういう状況で、どう逃げて、どんな困難を乗り越えて生き延びたのか。その人、その人のストーリーを伝え、「自分ごと化」のきっかけにしていただけたら嬉しいです。
鳥山:ぜひ見に行きたいです。ナオさんの方でも、9月にまたディフェンス・アクションがありますが、改めて意識していきたいことはありますか?
石川:今のお話にもありましたが、「ストーリー」はすごく大事だなと思いました。僕ら伝える人間はどうしても「全体感」に目を向けがちじゃないですか。この震災では何十万人の方が亡くなられて……と。でもそこにあるのは、本当は、一人ひとりのストーリーなんです。生き延びる人は、どうやって生き延びたのか。そういう個の部分に、どれだけ意識を向けられるかだと思うんですよ。
ディフェンス・アクションでも、声かけや仕組みなど、「全体から個を意識する」機会をつくっていくことは大事だなと思いました。全体感を知ったうえで、ぐっと個にフォーカスする機会を意識的につくることで、その人の熱量も変わってくると思います。
鳥山:この記事を読んだ方が「防災対策、始めようかな」と思ったとき、どんなことから取り組んだらいいと思いますか?
石川:ディフェンス・アクションには防災用備蓄品を挙げながらパス交換をする「パス・ストック」というメニューがありますが、備蓄品も「普段の日常のなかにあるものでプラスαする」意識がすごく大事だと思うんですよ。
僕もコンビニへ買い物に行ったついでにちょっと缶詰を買うとか、ちょっと消毒薬を買うとか、備蓄の視点を頭の片隅に持って、日々の買い物をしたりしています。普段の買い物ひとつとっても、防災の学びにできる。「防災、やろう!」というよりは、あくまで日常の一部として取り入れていくこと。家族とも、日常的に話題にしていくこと。その繰り返しが大切かなと思います。
青木:家族と積極的に話すのは大事なことですよね。携帯電話もつながらないときに、どうやって連絡をとるのか、どこで落ち合うか。備蓄品や貴重品は家のどこに置いておいたらいいか。玄関なのか、枕元なのか。細かいところまで話していくと、リアルな状況を想像しようとすることになります。そのイメージをより鮮明にするためにも、過去の体験談に触れることは役立つと思います。
関東大震災クラスの首都直下型地震は、いつ来てもおかしくないと言われています。「明日にでも起きるかもしれない」想像力をもって、身近な人を守るために、何を準備したらいいのか考えることは、よい入り口になるのではないでしょうか。
石川:僕も今日の対談を通して、ますます1人でも多くの方の「きっかけづくり」に力を入れていきたいと思いました。Jリーグは全国に60クラブと日本のほとんどの地域を網羅しているので、各地域の博物館などの施設と協働してアクションを起こしていく可能性もすごく感じました。
青木:本当にそうですね。ともに手を携えて、補い合いながら、地域の課題に取り組んでいけたらいいですね。
鳥山:防災と地域は切っても切り離せないものだと、おふたりのお話から私も改めて感じました。HITOTOWAでも、体験・追体験の価値や、地域の歴史と防災の関係など、今日改めて得た気づきを、今後の取り組みにもつなげていきたいと思います!
—–
以上、関東大震災100年対談企画をお届けしました。
対談を終え、これまでソーシャルフットボール事業で取り組んできたことはまさに「災害の記憶を風化させない」「防災を自分ごと化する」ことにつながっていたのだと改めて実感しています。
追体験できる機会があること。
日常と防災のつながりを伝えること。
そして、楽しさを忘れないこと。
たとえばディフェンス・アクションでは、サッカーというスポーツの力で防災への入り口を親しみやすく、オープンに。戸越銀座の「防災街づくりフェア」では、普段生活している「商店街」というアクセスのしやすい場所で、できる限り体験型ブースを設置した防災訓練を実施しています。ヤフー株式会社やJリーグ、Bリーグと協働で行なっている「ヤフー防災模試」を活用した企画もそのひとつです。
「私たちが進めてきたことはきっと間違っていなかったし、今後もこの取り組みを進化・深化させていきたい」。今回の対談は、ソーシャルフットボール事業メンバーのそんな決意を新たにする場にもなりました。
引き続き、私たちHITOTOWAの活動にご注目いただけると嬉しいです。
<プロフィール>
石川 直宏(いしかわ なおひろ)さん
1981年5月12日生まれ。神奈川県出身。横浜F・マリノスの下部組織を経て、2000年に横浜F・マリノスのトップチームに昇格し、Jリーグデビュー。2002年4月にFC東京に期限付き移籍し、翌年8月には完全移籍。2017年末に現役を引退し、2018年「FC東京クラブコミュニケーター」に就任。J1通算290試合出場49得点。元日本代表。2019年からディフェンス・アクションにゲストとして参加し、2022年3月11日から初代ディフェンス・アクションアンバサダーを務める。
青木 祐介(あおき ゆうすけ)さん
1972年、大阪生まれ。博士(工学)。建築や都市計画の視点から、横浜の近代都市形成史の研究に取り組んでいる。現在、横浜開港資料館・横浜都市発展記念館の副館長を兼務。2013年に企画展「関東大震災90年 関東大震災と横浜」を担当。その他「横浜・山下公園」(2016年)、「みなとみらいの誕生」(2017年)などの展覧会を担当。おもな著書(いずれも共著)に、『日本史のなかの神奈川県』(2023年、山川出版社)、『日本近代建築家列伝 生き続ける建築』(2017年、鹿島出版会)、『死ぬまでに見たい洋館の最高傑作』(2012年、エクスナレッジ)など。
鳥山 あゆ美(とりやま あゆみ)
3歳から文京区で育ち、犯罪に対する不安がない生活をしてきた経験から、地域コミュニティを作ることで安心して暮らせるまちを作りたいと考え、港区役所に入庁。防災課に配属となり、防災士の育成支援、「港区高層住宅震災対策ハンドブック」の作成などに携わる。人と人とのつながりで、安心して暮らせるまちづくりにより深く携わりたいという思いが強まり、HITOTOWA INC.へ入社し、現在はネイバーフッドデザイン、ソーシャルフットボールを担当。戸越銀座商店街にて「ディフェンス・アクション」をはじめとした防災の啓発や、まちの方々のつながりづくりに取り組んでいる。
HITOTOWAの声