2020-09-25
2020-09-25
HITOTOWAの荒です。私事ですが、2020年9月25日にて40歳の節目を迎えました。
40になって思うのは、“戻る”と“進む”という2つの感覚が共存しているなということ。“戻る”は、「人生も折り返しだ」という感覚。そして“進む”は、「人生も事業もこれからますますやっていくぞ」という感覚……。それらが入り混じった心境です。
さて今回は、誕生日を迎えたことに甘えて、これまで以上に個人的なことをお伝えしますね。
6月に甥っ子が生まれました。私にとって甥や姪が誕生するのは初めてのことです。
出産までのあいだ、コロナ禍が余計に不安にさせましたが、私以上に親となる本人たちが大いに不安だったでしょう。私の心境は、「とにかく、無事であってほしい」。ただただ、それだけでした。
そして6月12日、甥っ子は生を受けました。この情勢のためになかなかお祝いにも行けずにいましたが、このたびようやく3ヵ月越しに、感染症対策を徹底したうえで初めて会うことができました。
とても緊張しながら抱っこをして、赤ちゃんがそこにいるだけで場の空気が和やかになることに驚きました。ここだけ異なる時空が流れているのではないか。そう思うくらいでした。
大げさな意味ではなく、生をつなぐということは、時空を超えていく所作なのかもしれません。生まれてきてくれてありがとう、と心から思います。なかなか人と会えない時節とあいまって、人と人が直接「会う」ことの意味を再認識した体験でした。
人と直接会えない、外出は極力自粛する。この状況になって、みなさんもいろいろとライフスタイルの変化を余儀なくされたかと思います。
そんな中、私が想像以上につらいと感じたのは、大好きなスポーツがプレーできない、観戦しづらいということでした。
というのも今年の3月までは、バルドラール浦安デフィオ(障がいの有無を越えたインクルーシブ型フットサルチーム)を中心に、およそ週3回のトレーニングおよび試合を習慣にしていたからです。またスポーツ観戦も、幼少時代からファンである埼玉西武ライオンズやサッカー日本代表、浦和レッズをはじめとするJリーグの試合観戦を、趣味として生きがいにしていました。
しばらく野球もサッカーも開幕が延期になっていたので、ひさしぶりにDAZN(ダゾーン:スポーツ専門の動画配信サービス)で観られるようになったときはじんわりと感動したのを覚えています。
そして先日は、メットライフドームに観戦へ。幼いころから通っていた場所なので、どこか「帰ってきた」ような感覚になりました。もはや家です。ホームタウン。私のスポーツにおける原体験は西武球場にあります。
スポーツが身近にある「街」は、すごく美しいと思うんです。
こどもからお年寄りまで世代を問わず、いきいきとひいきのチームを応援する姿。そのチームのウェアを着て、スポーツに取り組む姿……。
その「街」に住まう人々の健康を促進したり、街への愛着を増加させたり、その魅力と効果ははかりしれません。
私が観に行ったことがある、ドイツ、イタリア、アメリカの「街」にはそういう空気感がありました。「スポーツが身近にある街」という意味では、日本はまだまだ、まだまだ伸びしろがありますね。
「ネイバーフッドデザインの知見」と「スポーツのすばらしさ」をかけあわせて、独自の世界観を日本の街に還元していくこと。それが私の夢であり、使命だと思っています。
最後に、事業にまつわる思いについて。
コロナ禍がうず巻きはじめた2020年の3、4月は、HITOTOWAにおいてもこれまで経験したことのない非常に特別な時間となりました。それは、「最悪のケース」を想定しなければならない、と考えたからです。その上で杞憂に終わればそれでよし、とリスク管理上そのように考えました。
では、最悪のケースとは何か。HITOTOWAが倒産することでしょうか。否、それ以上に恐怖だと感じたことは、HITOTOWAにかかわる人が亡くなってしまうことでした。
それがほんとうに怖かった。ほんとうに恐ろしかった。どうにかそれを防ごうと思って、やってきました。
私はもともと、大学時代に父が他界したことが起業につながっています。また創業3ヵ月後に東日本大震災が発生し、生と死、そして自身の生き方を見つめてきたつもりです。
もし、HITOTOWAに関係する誰かが亡くなってしまったら、自分はこれまでやってきたことに満足できるだろうか。自分は今まで何をどのように考え、何を軸に決断をしてきたんだろうか。毎日毎晩、考える機会になりました。涙とともに眠れない夜もたくさんありました。
そんな日々のなかで思ったことは、「事業はいくらでもやり直せる、でも失った人は取り戻せない」ということでした。
そこで、HITOTOWAのビジョンも「ともに助け合える街をつくる、人が幸せな会社」と改編しました。そこには、「かかわる人が幸せであってほしい。自分はそういう事業・会社をつくっていく」という不退転の決意を込めています。
一方で、事業としても重要視していた「場づくり」ができない。人と人が会う場をつくれない。その状況のなかで何をどうすべきか、とても迷いました。
でも考えているうちに、これはそれまでの課題を解決する機会になるかもしれない、と思いはじめました。
たとえば今までは、「家から出てもらわないと、ネイバーフッドデザインが推進できない」ことが、ある意味では矛盾しているような一面もあったのです。なぜなら、社会的に孤立しやすい人こそ「家から出づらい」状態にあるわけですから。
なので、オンラインツールを使って、「在宅でも人と人とのつながりをつくれる、助け合える関係性を育める」ことを実証していくのは、いいことなんじゃないか、チャンスなんじゃないか、と思いました。むしろ、そう捉えないといけないんじゃないかと。
そこでわたしたちは、4月初旬の時点で「HITOTOWAができることを通じて『社会を勇気づけよう』」と話し合っていました。そうして生まれたのが、『オンラインでもオフラインでも、人と会う価値を信じる』というキーワード。
例えば、オンライン防災ワークショップやオンラインコミュニティとリアルの場を掛け合わせた企画など、その成果が出はじめているのは喜ばしいことです。ほんとうに社員はじめ、周囲の方々のおかげだと思っています。
だからこそ、私自身としては感謝の表明として「かかわる人が幸せな会社」をつくること。そのうえで事業を通して「ともに助け合える街をつくる」を実現していくこと。
私の40歳の誓いはそれですね。それしかありません。
(HITOTOWA INC. 代表取締役 荒 昌史)
HITOTOWAの声